心と体に嬉しい口福(こうふく)のおすそ分け
緑に赤、オレンジにピンク。鮮度の良さと作り手の愛情の深さに比例するかのように、お皿の上には鮮やかな野菜の色が並びます。たっぷりの県産野菜が中心の創作料理は、体に優しく、口にするたび心がほっこりするものばかり。熊本市から甲佐町に移転して7年目。ゆっくりと時が流れる「diningspace 欒時(らんどき)」で、肩ひじを張らない等身大の店主と料理に出会いました。
玄関の土間が印象的な店内は、温厚な店主の人柄をそのまま反映したような、くつろぎの空間が広がります。テーブルとテーブルの間はたっぷりとスペースを空け、貰い物やリサイクルショップで手に入れたアンティーク家具や調度品を上手に使い、コンパクトながらもゆったりとした設えです。
「小さいハコに収まりたかった」と笑うのは、店主の加藤理恵子さん。甲佐町への移住の転機が訪れたのは10年ほど前。まだ熊本市で営業していた頃、スタッフの実家だというこの物件を紹介されました。以前から、あゆまつりなどで町を訪れており「静かでいい町」という印象を持っていた加藤さんにとって、思いがけない縁でした。
移住を決断してからの動きは実にアクティブ。新店舗の告知をしながら熊本市のお店を片付けつつ、お昼の販売用弁当を作り、新しいお店を改装する。たった一人で3足の草鞋を履く時期が3~4ヶ月ほど続いたといいます。「勢いだけはありました(笑)」と加藤さんは謙遜されますが、聞くだけで大変なことだと簡単に想像できます。
柱や壁を塗り、家に合わせた家具を配置し、少しずつ自分の城を築いていきました。大がかりな改修をしなくて良かったのは、元の住人が丁寧な暮らしをされていたからこそ。家屋も「ここまで大切にされるなんて」と、さぞ喜んでいることでしょう。
加藤さんお気に入りのエメラルドグリーンの外観は遠くからも目を引きます。壁や棚、小物入れなど、店内のいたるところでも使われ、存在感を放っています。
何度も補修した跡がある入り口の手作りの看板も、時を追うごとに味わいがプラスされます。お客様に「読めない(笑)」と言われた文字でさえも、さながらアートです。
店頭では食材の買い出し用自転車が待機。冬場はこれで、灯油だって運んじゃいます。
ここでだからできる、丁寧なおもてなし
人員も営業時間もお店の広さも、前の店に比べて大幅に削減しました。加藤さん一人でランチをメインに夕方まで、ディナーは完全予約制で14席を回します。「お陰で主婦業に専念したり、他のことを考える余裕ができたり。家族と食卓を囲みながら他愛の無い話をして一日をリセットできる時間を持てるのは、ここへ来た大きなメリットの一つ」。その甲斐あってか?「いつ開いてるの?」と聞かれることもしばしば、だそうです(笑)。
創業当時から評判の日替りワンプレートランチ(1,100円)。お皿には、農家さんたちに大切に育てられた県産野菜や米、プラス日によって肉や魚がバランス良く並びます。野菜は、ナスやニンジンなど馴染みのあるものから、マイクロリーフやレッドソレルなど珍しいものまで。どれも味がしっかりあって素材の美味しさが伝わってきます。
甲佐町特産のニラを使ったグリーンカレー(1,200円)もそそられます。「甲佐町のニラは、生でも食べられそうなほど食感がシャキシャキ。ニラのペーストをルゥに入れていますが、発色が良いですよ」と、加藤さん。他にも、プレートランチと人気を二分するトルティーヤやパスタ、手作りスイーツなど、どれもこれも魅力的で目移りしてしまいます。
加藤さんは、お店を始める前は東京にいました。レストランやカフェなどの飲食店を中心にサービス業に従事し、様々な経験を積んだことが今に生かされています。勤めていた頃から、自宅に友人を呼んでお店さながらにコース料理を振る舞っていたとか。
甲佐時間で暮らす毎日はプライスレス
オープン当初から昔ながらの常連客で賑わい、周辺に次々と新しいお店ができたこともあり、新たなお客様も流れてきました。「ランチをした後に、同じ通りにある美容院に行く人がいたり。立ち寄る場所が複数あると良いですよね、点と点が線になる」。
もちろん、町の人々も大事なお客様。「新しいお店をしたいんだけど、手伝ってくれる人、知らない?」「今度、イベントがあるよ」、ランチやカフェタイムは町の情報交換も兼ねています。移転した年は「甲佐蚤の市」がスタートした年でもありました。加藤さんは毎年、カレーライスとトルティーヤを引っ提げて出店しています。
また時には、親しい人を呼んでライブイベントを行うことも。ギターを演奏するのは加藤さんのご主人です。甲佐町の古民家再生モデル住宅「山ぼうしの樹」では、料理担当として「欒時」の名前がリストに挙がっています。「先日、披露宴用に50名分用意した時は死にそうでした(笑)」と、達成感にあふれた表情を見せてくれました。
カフェメニューの食材や調度品の入手ルートも町の人たちの存在は欠かせません。ランチに登場する黒米や赤米も甲佐産です。「お米の生産者は知識豊富な話し好きの面白いおじいさん。美味しいものを作りますよ」
「小学校が閉校する」と情報を仕入れて椅子を譲り受け、逆に冷蔵庫をあげるという大型物々交換を行うことも。横幅の広いアンティークソファーは、赤ちゃんを寝かせるにもぴったりです。レトロな食器棚は本棚へ。そこに、譲り受けた本を詰めればミニ図書館の出来上がり。店内の片隅で異彩を放つ少し古びたエレクトーンは、今でもちゃんと音が鳴ります。「みんな捨てる前に一回聞いてくれるんですよ、これ要る?って(笑)」。
窓際では愛猫があくびを一つ。寿司屋に行った帰りに拾ったことから「寿(ことぶき)ちゃん」と名付けられました。耳をすませば、小学校の下校の時間なのか、楽しそうな子どもたちの笑い声も聞こえてきます。
庭で風に揺れる楓を眺めながら「甲佐町はゆったりとした時間が流れていて良いですね。地域の人たちとの距離もグンと近くなったような気がします。無理のない毎日は、本当に楽しく、充実しています」と目を細める加藤さん。どうやら、店主自身が一番「欒時」を楽しんでいるようです。